第二話 肝と度胸と男と女

「南君、ジョニー」
「はい?」
 昼休み、食堂で俺は陽一とジョニーと一緒に飯を喰っていた。そこへ、うどんを買った嵐さんがやってきたのである。
「御一緒して、いい?」
「ああ、いいよ」
 嵐さんはジョニーの隣に腰掛けた。ジョニーと嵐さんの向かいに、俺と陽一が座っている。
 嵐さんと初対面の陽一は、
「啓祐、このコ誰だ?」
「ああ、同じクラスの嵐さん。東京から引っ越ししてきたんだって」
 と、陽一に嵐さんを紹介してやると、
「嵐舞です」
「あ、花形陽一です」
 お互いが丁寧に頭を垂れた。
「ラン、こっちには慣れたか?」
 ジョニーは嵐さんにそう訊いてから、天ぷらそばをズルズルッと食べた。
「今日で高校二日目でしょ、まだ慣れてないわよ。女友達もまだいないし……」
「早紀は?」
 俺は、昨日の放課後、嵐さんが早紀と一緒にいたのを思い出した。
「そうね、彼女が仏が丘最初の女友達ね」
「何なら、もう一人人懐っこいの紹介するけど」
 もちろん美里のことだ。
「ありがとう。私、友達とか作るの苦手だから、有り難いわ」
 と、苦笑しながら割り箸を割った。
「そうだ。ねぇ、昨日言ってた……ヤクザの人とどうこうって、本当?」
「ん?あ、ああ、まぁ」
 俺の返事に、ジョニーは
「『まぁ』じゃねぇだろ。あン時ゃ寿命縮んだぞ」
 対して陽一は、
「俺も現場にいたかったぜ」
 悔しそうに言うが、ジョニーは
「出来れば俺の代わりにいて欲しかったよ」
 と俺を睨んだ。
 去年の夏休みのことである。
 俺とジョニーと早紀は、架橋市という、仏が丘から鈍行で二〇分ほどの町にいた。ジョニーがスネアドラムを買いに行くというので、俺と早紀が同行したのである。
 その帰り道で、昨日の嵐さんが上級生にぶつかったように、早紀が男の人とぶつかってしまったのだ。しかも、ただぶつかったならいいとして、早紀の持っていたジュースが、その男のズボンの裾にかかってしまったのである。

「あぁっ、何してくれんだ、姉ちゃん」
 ぶつかったのは二人組の男の、少し脂ぎった感じのする男。もう一人は口元に髭を生やした、眼が鋭く体格のいい男だ。歳は、二人とも二十歳は超えたような……俺たちから見れば、見事なオッサンである。当然のように早紀に絡んできた。しかし、俺が見たところ、一方的に早紀が悪いのではなかった。向こうも、余所見をしていたのだ。そう思ったときには、
「全く、大人気ねぇなぁ……」
 と発していた。当然、その脂ぎった男の矛先は俺に向けられた。ジョニーが俺に「馬鹿」と言うように肘で俺の横腹を突っついたが、もう遅い。
「何だと、ボウズ」
「……大人気ない、と言った」
 その男が俺ににじり寄り、睨み付ける。気に入らない眼付きだ。
「確かにこっちも余所見してたけどよ、あんただって余所見してただろう」
「ああ?俺はジュースかけられたんだぞ」
「んな、ジュースがかかったかからないなんて、ぶつからなきゃ問題なかっただろう。知るか、このタコ」
 次の瞬間、俺は平手で頬を叩かれていた。ただし、その男にではなく、早紀にだ。
「馬鹿!あんたはなんてこと言うのよ!どう見たってこの人たち、ヤクザじゃない!」
 言ってから、早紀は「しまった」と青い表情になったが、俺は早紀に言うべき台詞を、その男に向かって言っていた。
「ヤクザが怖くて、喧嘩が売れるか!」
 しかし次に言葉を発したのは、意外にも今まで口を開かなかった、もう一人の男だった。
「おい、お前ら。ちょっと来い」

「……それで?」
「飯を奢ってもらった。『クソ度胸が気に入った』って」
「ったく、今でも信じらんねぇよ」
 と、ジョニーはあの時のことを思い出したのか、目を伏せた。
「確かにな、本物のヤクザに奢ってもらうなんて、そうそうないからな」
「んなことじゃなくて、ヤーさんに喧嘩を売るお前だよ」
 ジョニーが俺を割り箸で差す。
「いやぁ」
「褒めちゃいねぇぞ……」
 あの時は、半分無意識に口が動いていた。
「ま、俺は刺激のある生活が好きだからな」
「それは構わねーけど、せめて他人を巻き込むのは止せよなぁ」
 ジョニーはそう愚痴ると、そばのつゆを飲み干した。
「まぁいいじゃねぇか。お陰でヤクザさんと知り合いになれた。普通出来ることじゃねぇじゃん」
 現場に居合わせなかった陽一が言うが、ジョニーは、
「あのなぁ……本当にお前は呑気だな。架橋に行くと、よく知らないおぢさんに声掛けられるんだよ。それも、決まって強面のオッサンに」
 それは俺も経験ある。そもそもの原因は、あの髭を生やした、眼光が鋭く体格のいい男が組の跡取り息子で、飯を奢ってもらった場所が事務所だったからだ。ちなみに俺は、組の人と会う度に勧誘されている。
「ふぅん……南君て、怖い人なんだ」
 そういう嵐さんは、穏やかに笑っている。決して無理して笑っているとか、引きつった笑顔などではない。
「怖いっつーか、単なる馬鹿だよ」
「ありがとう、ジョニー。まぁ、嵐さん。このことはオフレコでお願い」
「何がオフレコだよ」
 まだジョニーが愚痴っている。
 だが、そんなジョニーへ近付く男がいた。襟元には、三年の学年章。体格のいい男である。
「お前が、一条新也だな」
 その男は、そう言いながらジョニーを睨み付ける。ジョニーもそのままの姿勢で、
「……だったら何スか?」
 睨み返す。
「ツラ貸せや」
「ちゃんと返して下さいよぉ」
 ジョニーが立ち上がり、その三年生と一緒に食堂を出ていった。
「啓祐、俺らどうする?」
「ん〜……嵐さんはどうする?」
「私は……そうね、ジョニーが心配だわ」
 と、嵐さんが立ち上がるので、俺と陽一の行き先も決まってしまった。
 ジョニーを追った。
 ジョニーが呼び出された原因は、やはり昨日のことだろう。昨日の放課後、ジョニーが喧嘩したことだ。どうせ、ジョニーにやられた連中の頭でもいるのだろう。
 ジョニーとその男の姿はすぐに見付かった。行き先は、体育館裏らしい。
「ありゃま、スタンダードだこと……」
 俺たちが体育館裏に着くと、ジョニーは計八人の男と対峙していた。その中で、一番前でジョニーと睨み合っているのが、恐らくこのグループの頭だろうが……。
 はっきり言って、高校生に見えなかった。学ランこそ着ているものの、髪型は昔の不良を絵に描いたようなリーゼント、そして……毛深いのか、眉、揉み上げ、髭、項が濃い。そして何よりもオッサンヅラ。
「ジョニー、怪我すんなよぉ」
 俺が声を掛けると、ジョニーと三年連中がこちらに気付いた。
「何だ、やっぱり来たのかよ……」
「ジョニー、怖かったら代わるぜ」
 陽一が言う。やはりこいつも血の気が多い。そんな俺たちの会話を無視して、
「おい、てめぇら」
 向こう側の一人が言い出す。
「タイマンだ、邪魔するなよ」
 勝ち抜き戦にして欲しいところだが、口にしなかった。勝ち抜き戦にしたところで、俺たちに出番がなさそうなのだ。
「タイマンでもコーマンでもいいから、とっととおつ始めようぜ、オッサン」
「なめやがって……」
 オッサンヅラが学ランを脱ぎ捨てた。その他大勢から、「野沢さん、やっちめぇ!」とか聞こえてくる。あのオッサンは野沢というらしい。
「オッサン、ただ喧嘩するのも面白くねぇから……俺が負けたら、あそこの女の子を差し上げるぜ」
 と、嵐さんを差す。いくらジョニーが勝つ自信があるからと言っても、嵐さんを差し上げるとは、言い過ぎだろう。気持ち嵐さんの表情が怖い。
「……てめぇ、言ったことは守れよ」
 そう野沢のオッサンは言ったが……。

 結果は予想通りであった。全く以て、面白くない。それでもこの連中の頭の意地か、何発かジョニーに当たった。しかし、ジョニーを倒すには至らなかった。
 野沢オッサンは今、地面に突っ伏している。
 そこへジョニーが近付き、こう言った。
「オッサン、参った。俺の負けだ」
 思わずジョニー以外の全員が、ポカンと口を開けてしまった。
「……?」
 野沢オッサンも、何だかよく分からない表情だ。
「ンまぁ、約束だし、あのコを差し上げちゃる」
 と、嵐さんを手招く。
「おいジョニー、どういう……」
 つもりだ、と言おうとしたが、そこへ、
「コラお前ら!何やっとる!」
 背後からの怒鳴り声。振り返ると、そこにはバーコード禿のオッサンがいた。これは、正真正銘のオッサンで……先生だろうけど、名前が分からない。分からなくて当然だ、俺は昨日の入学式はほとんど寝ていた。
「全く、土足で何をやっとるんだ!」
 怒鳴る先生に対し、嵐さんは、
「一条君が先輩に連れて行かれたので、心配でならなかったんです」
 実際は、少なくとも俺と陽一はジョニーの心配は全くしていなかった。心配するとしたら、むしろ先輩たちの方を心配する。
 それを聞いた先生は、先輩たちの方へ向き直って、
「またお前たちか……」
 と怒ってみせるが、地面に野沢のオッサンが突っ伏しているのを見て、一瞬言葉を忘れた。が、すぐに、
「ホラ、さっさと戻れ!」
 そう言って、俺たちを押す。
 しかしその時、この先生が嵐さんのヒップを二回程撫でるように押したのを、俺は見逃さなかった。
 どうしてくれよう、と思ったその次の瞬間、
「何しやがんだ!」
 そして、殴る音。俺は自分の目を疑った。まだ幻覚を見るような歳ではない。しかし、相変わらず俺の眼には、地面に倒された先生の姿が映っている。
「このエロ教師……」
 次には、先生の腹に蹴りが入った。
 そう、先生を殴り倒したのは、他でもない嵐さんだった。嵐さんは、横たわっている先生の胸倉を掴み、顔を引き寄せると、
「おい。てめぇはここで何も見なかった。分かるな?禿」
 先生はそれに対し、口をパクパクさせるだけだ。ついでに俺も陽一も、先輩方も口をパクパクさせたままだ。その中で、
「あーあ、ひでぇことするな」
 ジョニーだけは平然としている。
「この禿が悪ィんだよ。……ったく、当初の目的もあったモンじゃねぇな。この禿畜生」
「ま、俺はいずれやるとは思ってたけど……まさか先生殴るとは思わなかったぞ」
 ジョニーは知っていた。そう言えば、確かにジョニーは嵐さんの何かを知っているようなところがあったが、まさかこんなことだとは思わなかった。
 これが、本当の嵐さんなのだ……。
「ところでジョニー」
 ランが突然ジョニーを睨む。
「あん?」
「さっきのは何だ?俺を差し上げるぅ?」
「はははは……別にいいだろう。まさかお前があのオッサンに何かされるとも思わねぇし」
「……ま、いいか。行こうぜ、五時間目始まっちまう」
 言われて、俺たちは教室へ向かった。
「嵐さん」
「あん?」
「嵐さん、やっぱり『ラン』だな」
 言ってみると、
「あははは、まぁな。『嵐さん』って呼ばれるより、そう呼ばれた方が、俺は好きだぜ。ちゅーことで、『ラン』で夜露死苦な、啓祐、陽一」
「おーす」
 俺と陽一は笑いながら答えた。
「いいよな、啓祐たちは。面白そうなクラスだよ」
 陽一が羨ましそうに言う。
 確かに、この一年間、このジョニーとランと同じクラス、というのは面白いかも知れない。いいや、きっと面白い。
「でもラン。どうしてその……女らしくしてたんだ?」
 俺は先ほどから疑問に思っていたことを訊いてみた。
「女が女らしくしちゃ、何か問題あるか?」
「問題ないけど……」
 上手く言いたいことが言えず、口ごもってしまうと、ランは笑い、
「そう言うことだよ。一応、俺だって女なんだ。女らしくしない方が問題なんだよな。転校して、知らねー土地に来たから、この男っぽさを隠してやろうと思ってたんだけど……ははは、俺にはそっちの方が問題だったんだよな。大体、性格なんかそう直るものじゃないからな。大体、ストレスが溜まるよ。……でも、さすがに二日目で挫折するとは思わなかったぜ」
 開き直っている。
 この日の放課後、ランの男勝りな性格を知らないクラスメイトはいなかったという……。

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